偶発的偶発性の自己怪事
【第7回:最低の就活】

「1級キャリアコンサルティング技能士の大井宗太郎が人生を振返る中で見つけたキャリアサンプル」を不定期にお届けするコラムです。
『最低の就活』が教えてくれた、キャリアのリアルと偶発性の力
 1983~84年に私の就活がありました。当時は、キャリアセンターもなく、学生課の求人票か、リクルートが送ってくる分厚い求人情報が全てだったと思います。当時圧倒的に自惚れていた私は、根拠のない自信に満ち溢れ、私を落とす企業があるわけないと本気で思っていました。

 実は、同族会社が渋谷でファッション専門店を経営していたので、将来はその会社の社長という目に見えないレールが敷かれていました。よって、30歳くらいまでは、好きなことをやってて良い、という暗黙の了解もあり、マスコミ、広告代理店中心に就活しました。

 結果は惨敗です。準備不足は歴然です。人生2回目の挫折です。慌ててファッション関係を受け、2社から1回の面接で内定が出ました。えっ、1回の面接だけで内定?私が感じたのは大学名です。きっと、そこしか見ていない。ファッション関係の中小企業ですから、人物よりも採用実績のない有名大学の学生。そういう評価と感じました。

 10月1日の内定式。チャラい奴らばかりだと感じ、こいつらと働くイメージが沸かず、即辞退しました。自分でも不謹慎な対応だと思います。また、並行してD通の子会社にコネ入社が進んでいました。紹介者から面接対応のレクチャーを受け、内定間違いなしでしたが、不合格でした。紹介者もびっくりでしたが、面接での「支持する政党は?」に「社民党」と回答したのが、敗因でした。「自民党」一択何ですね。今となれば、良く分かります。そこから必死に就活して、卒業間近の1月に某PR会社から内定貰いました。

 そんな恥ずかしい就活でしたが、縁は大切ですね。この会社で人生に大きく関わる経験と、先輩社員からの暖かく、時には厳しい指導、とんでもないワンマンパワハラ社長との出会いなど社会人デビューには、いろんな意味でとても有益な会社でした。私を雇ってくれて感謝です。

筆者プロフィール

筆者:大井 宗太郎
Sotaro Oi

1級キャリアコンサルティング技能士

大井宗太郎が担当する講習

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