偶発的偶発性の自己怪事
【第8回:黒歴史】
「1級キャリアコンサルティング技能士の大井宗太郎が人生を振返る中で見つけたキャリアサンプル」を不定期にお届けするコラムです。
“黒歴史”と笑える日が来るまで──挫折と劣等感が自分の礎
私の黒歴史は高校生活です。中学では、バスケ部キャプテン、運動会では1500m二連覇。成績も良く、中三のバレンタインは紙袋一杯でチョコを持ち帰りました。正に第一期モテ期。高校受験もK大付属と都立T高校で合格。皆から「大井はKOボーイがぴったり」と言われましたが、将来ICUが第一希望で、あわよくば東大なんて夢を見て、T高校に入学。この時は両親も自分で決めろ、と快諾でした。K大付属の入学金は無駄になりましたが、公立ということでチャラかな。
しかし、ここから全く予期せぬ闇に迷い込みます。流石に皆の学力が高い、で高校に勉強に来ている。私はバスケをやりに行っている。この差は見る見るうちに結果となりました。女子生徒も勉強第一で色気も何もなく、浮いた話もありません。
高2の三学期最後の学力テストで405人中なんと405番。ビリです。流石にショックでした。三者面談で母は泣いていました。担任からは「大井君、この時期にこの成績で早慶に受かった奴はいないよ!無理だ!」人生初の挫折でした。(この話、最近やっとネタで話せるようになりました)
やばい!だったらK大付属に行ってれば・・・ 結局浪人、代ゼミ生となりましたが、ここでも大問題。解放感がありすぎて、毎日雀荘通い。さらに、不安な心を癒すためにジャズ喫茶にも入り浸り。自我との葛藤の毎日。
11月の学力ストでW大Dランク。やばい!流石にやばい!ここから3か月、人生で一番勉強しました。同じ浪人仲間からは、「大井宗二浪」と揶揄されましたが、何とかW大の第三希望、教育学部に合格しました。教員になるわけでもないのに教育学部、これにも後々大きな意味がありました。
暗い思い出しかないT高校ですが、バスケ部の仲間とは今でも飲んでるし、私の主治医もその一人。バスケ部があってよかった。皆、ありがとう。そして、初の挫折感を与えてくれたT高校に感謝しています。
筆者プロフィール
