計画的偶発性の自己怪事
【第11回:ファッションと商売】
「1級キャリアコンサルティング技能士の大井宗太郎が人生を振返る中で見つけたキャリアサンプル」を不定期にお届けするコラムです。
“好き”より“使命”が人生を動かした。祖父に呼び戻された運命のタイミング。
実家は、渋谷スクランブル交差点角でレディースファッション専門店を営んでいました。渋谷で創業120年になる商人の家系です。私は4代目という立場です。小間物屋、果実商などを経て、たまたま高度成長期でファッションを始めたのです。時流に乗って、売れたようです。物心つくと私の将来はそこで働くこと、と自然にレールが敷かれていました。私も抵抗なく、30歳までは好きなことやって、その後は、跡を継ごうと漠然と考えていました。ファッションに興味関心はありましたが、むしろ「商売」が楽しそうだと感じてました。
PR会社に入社後、3年が経とうとする頃、社長のワンマン振り(今ならパワハラ)に限界を感じ始めた頃、祖父が、もう歳だから孫の宗太郎を返して欲しいと父と二人で私が勤める虎ノ門の会社に乗り込んできました。流石の社長もこれには感服したようで、即、退職が決まりました。何の相談も打ち合わせもなく、私は流れに任せる感じで、行き詰った職場を去ることができました。
さて、私はファッションを学んだことはありません。専門知識は何もありません。ただ、学生時代から女性ファッション誌「JJ」「CanCam」は、毎月購読していました。周りはニュートラ、ハマトラの女子学生ばかりだったので、とても参考になりました。彼女の買い物にも付き合うことでリサーチはできていました。入社後は、「社長の息子」として取引先では特別扱いです。何でも丁寧に詳しく教えてくれました。一番大変だったのが生地ですね。素材、編み方、加工、特徴、名称、などプロは触っただけで言い当てます。
まずは会社を知ること。そのめに暫くは、セールスプロモーションを担当しつつ、のんびりやっていました。1か月もすると色々見えてきました。愕然としました。問題山積。レベルが低すぎ。無責任。雑。お客様に失礼、申し訳ない。結局これを私が変えていくんだろうな・・・ やはりファッションを語るより、商売、経営に視点を置くしかない。ファッションはその手段でしかない。第二の人生がスタートしました。
限界を感じた時に、タイミング良く呼び戻してくれた祖父には感謝しかありません。自分から言い出す必要も、誰かに相談することもなく、ラッキーだった。
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